追悼 故・丹保憲仁氏 特別インタビュー『未来への洞察と提言』(2022年5月10日)内容要約
『未来への洞察と提言』
~大学、エネルギー、そして次世代へのメッセージ~
故・丹保憲仁氏(北海道大学第15代総長)
(2022年5月10日 北海道河川財団 執務室にて)
聞き手 一般社団法人北海道産学官研究フォーラム副理事長 藤原 達也
当一般社団法人北海道産学官研究フォーラムにおいて2020年より名誉顧問として会の運営にも大所高所からご指導をいただいた故丹保憲仁先生に2022年5月10日に長時間のインタビューを行いました。丹保先生を偲ぶと共に、今を生きる私達に対しても多くの示唆を与えていただける内容となっていますので、内容を要約して掲載させていただきます。
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北海道大学第15代総長を務め、インタビュー当時は北海道総合研究機構(道総研)の顧問として、北海道の知の拠点としての産学官連携を長年にわたり牽引してきた丹保憲仁氏。その深い経験から紡ぎ出される言葉は、現代社会が直面する課題の本質を鋭く突き、未来を担う世代への温かい示唆に満ちている。本稿では、北大総長時代の回顧から、エネルギー・水問題、未来のリーダーシップ、そして激変する社会における若い世代の役割まで、多岐にわたるインタビューの内容を詳述し、その深い洞察を紹介する。
第1章:「世界と互角に戦える大学」―情報交流の哲学
インタビューは、丹保氏が北大総長を務めた約20年前の回想から始まった。当時、丹保氏が掲げた最も重要な理念は「世界と互角に戦える大学を目指して」というスローガンに集約される。その根底には、「情報というのは一方通行ではない。あくまでもこちらに情報がなければ相手もくれない」という、情報交流の本質を突いた哲学があった。国際的な学術交流において、単に海外から情報を受け取るだけでは対等な関係は築けない。北海道大学自身が世界に対して価値ある知見や研究成果を提供できる存在となって初めて、真の双方向的な関係が生まれ、世界と渡り合える大学になる。この強い使命感が、当時の機構改革を推し進める原動力だったのである。
第2章:人類の根源的課題―エネルギーと水への深い洞察
話題が地球環境問題に移ると、丹保氏の視線は人類の生存を支える根源的な課題へと向けられる。丹保氏は「やっぱり最大の問題はエネルギーと食料でしょうね。」と断言する。そして、その二つの関係を「エネルギーは結局は食料を作るためにあるのですよ。だから最終的にはエネルギーは食物に還元されるのですよ」と解き明かす。現代文明はエネルギーに依存しているが、そのエネルギー消費の大部分は、人間が動物として生きるための根源的な営みである「食」の生産に向けられている。この視点は、エネルギー問題を単なる技術や経済の問題ではなく、生命活動そのものの持続可能性の問題として捉える丹保氏の深い洞察を示している。
現代文明を支える化石燃料については、極めて示唆に富んだ比喩でその本質を説明する。「化石燃料というのはね、太陽エネルギーの少しづつ溜めた養分ですよね」。私たちはこの貴重な貯金を、文明の急激な発展と共に猛烈な勢いで消費し、足りない分を補っているに過ぎないと丹保氏は語る。本質的に人類は太陽エネルギーによって生かされているのであり、その貯金を使い果たすことは「未来の蓄えまで使ってしまう」ことに他ならないと、厳しい見方を示す。
近年、究極のエネルギー源として期待が高まる核融合技術に対しても、氏は楽観論を戒め、慎重な姿勢を崩さない。核融合は「太陽の真似」をする壮大な試みであり、それを人間が完全に制御できると考えるのは慢心だと警鐘を鳴らす。「それを人間がやろうとしてるわけですからね。やりすぎたら、その瞬間アウトですよ」。核分裂が引き起こした数々の事故を例に挙げ、人間は完璧な存在ではなく、その制御能力を超える領域に踏み込むことの計り知れない危険性を指摘した。「きっといろんなカタストロフ(大災害)が起こりますよ」という言葉は、技術への過信に対する強い警告である。
また、自身の専門である水問題については、その本質が「量」ではなく「質」にあると明快に語る。「水はなくなりませんよ。循環してますから」。地球上の水の総量は変わらないが、問題なのは、その清浄な循環プロセスに人間活動によって汚染物質が混入することだ。原子力発電所の廃棄物などを例に、水の循環系に余計な物質が入り込まないようにすること、すなわち水の循環と物質の循環が「変にクロスしないようにする」ことが極めて重要であり、水問題とは最終的に汚染(ポリューション)の問題なのだと結論づけた。
第3章:組織とリーダーシップの本質―ビジョンと共感の力
北海道立総合研究機構の初代理事長としての経験を尋ねられると、丹保氏は「大学より楽ですね」と意外な答えを返した。大学は自ら問題を見つけ出すことから始めなければならず問題が無限にあるのに対し、道総研は解決すべき課題が明確であり、それに対するアクションがストレートに進められたからだという。この言葉からは、組織を預かり、明確な目標に向かって人々をまとめ、成果を出すマネジメント業務への自身の適性と強いやりがいを伺うことができる。
一方で、国の総合開発計画などに携わった経験から、現代日本の組織が抱える構造的な課題にも鋭く言及する。多くの専門家や官僚は、自身の専門領域には非常に詳しいが、組織や社会の全体像を俯瞰する視点を欠いている。その結果、セクショナリズムに陥り、全体最適のビジョンを描けるリーダーが不在になる。「それをまとめる人もいないんです。国の中にいない。いてもそういう人が大事なポジションにいないのですよ。」
真のリーダーに必要なのは、単なる調整能力ではなく、明確なビジョンを持つことだと氏は強調する。しかし、強烈なカリスマ性だけで人がついてくるわけではない。リーダーシップの本質を、氏はこう表現する。「みんなが『なんとなくやめよう』と思っているときに、やっぱりやめなきゃいけないんじゃないって言ったら、そうかなってやめるんですよ」。リーダーとは、時代の空気や人々の総意を敏感に感じ取り、それを言葉にして方向性を示す存在だという。特に学者の世界では、まず自身の専門分野で「あいつなら仕方ない」と周囲に認めさせるだけの実績と力量がなければ、誰もリーダーとして信頼しない、とその厳しさを語った。
第4章:北海道大学への誇りと次世代への期待
話題が再び北海道大学に戻ると、丹保氏は北大が持つ独自の歴史的価値を力強く語った。北大の前身である札幌農学校は、1876年に設立され、東京大学よりも1年早く誕生した「日本の最初の近代大学」である。「僕が総長の時いつもそうやって言っていたんです。僕しか言わない」と笑うが、この事実は北大が日本の近代化において果たした先駆的な役割を象徴している。北海道開拓の歴史と共に歩み、農林水産業を基礎としてきた伝統こそが、今日のサステナビリティ分野における世界的な高評価につながっているのだ。また、文系学部が道民の強い要望と支援によって設置された歴史にも触れ、大学が地域社会と共に発展してきたことを示した。
最後に、これからの社会を担う若い世代に向けて、温かくも力強いメッセージが送られた。北大生に対しては、「これだけ広い空の下で勉強して。それなりの広さを自分で作ってほしいと思いますよね」と、専門知識の習得にとどまらない、人間的な器の大きさ、すなわち広い視野と豊かな人格を形成することへの期待を述べた。
第5章:激変する社会と未来への提言
インタビューの終盤では、現代社会の根源的な変化と、それに対する向き合い方が議論された。特にインターネットの登場は社会を根底から変え、デジタルネイティブ世代とそれ以前の世代との間には思考様式やコミュニケーションのあり方に「断絶」が生まれつつあると指摘された。かつて当たり前だった「札幌駅の東口で5時に」という待ち合わせの概念が、常時接続が可能な現代の若者には理解しがたいものになっているという例は、その変化を象徴している。
この急速な変化の中で、丹保氏は次世代への提言として二つの重要な点を挙げる。一つは、「自分のしたいことを、独断で行わないで周りと相談して、それをできることにするってことじゃないのかな」という言葉に集約される、協働の精神だ。夢や目標を一人で抱え込まず、周囲に語り、多様な意見に耳を傾け、仲間と共に実現していくことの重要性を説いた。
もう一つは、組織のリーダーが果たすべき役割である。経営者や組織の長は、若い人材を積極的に組織の外に出し、異分野の人と交流させるべきだと強く訴える。「若い人に行ってこいと言わなきゃダメだね」。上司が背中を押し、他流試合の場を提供することが、個人の成長を促し、ひいては組織全体の未来を拓くのだと氏は語られた。
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丹保先生の言葉は、長年の学究生活と組織運営の経験に裏打ちされた、普遍的な知恵に満ちています。人類は失敗を繰り返しますが、その都度学び、自己修正する力も持っています。一人の英雄的リーダーに依存するのではなく、多くの人々が問題意識を共有し、対話し、未来を共に創っていくこと。その重要性を、氏の言葉は改めて私たちに教えてくれます。そして、そのプロセスの主役となる若い世代を信じ、彼らが活躍できる環境を整えることこそ、今を生きる私たちの責務なのだと改めて考えさせられました。このインタビューを終えて、原稿を携えて記事の感想を伺う機会があればと考えていましたが、その機会を持つ前に氏は旅立たれました。いつお会いしても、笑顔を絶やすことなく時にユーモアを交えながら、一方で深い洞察力に基づいて堂々と語られる姿にもう接することはできません。ただせっかく大切な時間をいただいて、今を生きる私達に貴重な提言をいただいた内容を多くの方々にお伝えしたいと考え、この度インタビュー内容をHP上で掲載することに致しました。丹保先生の御冥福をお祈りするとともに、未来に向けてのメッセージとして皆様にお届けできたら幸いです。
文責:藤原達也
<プロフィール(敬称略)>
氏名:丹保 憲仁(たんぼ のりひと)(1933年3月10日~2023年8月6日)
略歴:
1957年 年北海道大学大学院工学研究科土木工学専攻(衛生工学専修)修士課程修了、
1965年 工学博士。
1957年 北海道大学工学部講師以後、助教授(1958年)、教授(1969年)として勤務、
学生部長(1991年)、工学部長(1993年)をへて 1995 年より北海道大学総長を2期6年務める
2001年 退官、北海道大学名誉教授(2001年)。
2001年 放送大学長を2期6年務め2007年退任
2007年 放送大学名誉教授
2007年 2010 年まで北海道開拓記念館館長
2008年より2021年まで北海道河川財団会長
2010年 2018年まで北海道立総合研究機構理事長
2023年8月6日 永眠される。